スポーツ界のパワハラ問題は、今後どうなる?
最近は、スポーツ界を取り巻く様々なパワハラ問題がクローズアップされています。
日大タックル問題や女子レスリング界のパワハラ問題など、ニュースや情報番組などで大きく取り上げられました。
もちろんこれは氷山の一角で、表沙汰になっていないスポーツ界のパワハラはたくさんあるのでしょう。
それでもこのような出来事が表面化して大問題になること自体が、パワハラに対する人々の厳しい目が注がれているという事実とも言えます。
昔のように、指導者は少々の強引な指導は許されるというような考え方の風潮は少なくなってきたと考えるべきでしょう。
強くなるためには厳しい環境を乗り越えることが必要という意味を、歪んで捉えている指導者がいることが問題です。
パワハラは厳しさではなく、「自分の立場を利用して人を追い込む理不尽な行為」です。ところがスポーツ界は、日常で勝敗を追求する競争社会であるだけに、そういったパワハラと厳しさを混同して悪用しているケースがあります。
「アスリートファースト」という言葉が語られていますが、元来それがスポーツ界のあるべき姿です。
ところが、現在もスポーツ界には「指導者ファースト」の部分が根強く残っています。
「指導者の言うことには絶対服従」という間違った価値観が、選手を苦しめています。
また、周囲が勝つことをあまりにも求めすぎて、ベストを尽くすことに価値があるということを忘れ、勝敗が全てだという意識になってしまうのも問題です。
理不尽な環境に選手を追いやってそれで結果を残せるかというと、そんなことはありません。かつての日本はオリンピックでもなかなかメダルが取れずに苦労した時期があります。
日常で追い込まれた選手は、オリンピックの本番でも緊張のあまり思ったような力が発揮できず、その悲壮感によって潜在能力が出せずに終わってしまうことがありました。
また、脚光を浴びることなく理不尽な環境の中で潰れされていった選手も数多くいるでしょう。
今も厳然とパワハラはあるとはいえ、それでも過去に比べればスポーツ界の中にも一般的な常識が浸透してきていると考えます。
オリンピックなどの国際大会で日本の選手が思い通りの力を発揮できている背景には、そのようなことがあるのでしょう。
スポーツ界のみならず、どんな世界にも未だにパワハラは残っています。特に外部からの目が入らない閉ざされた組織は、そのような歪んだ状況を生み出す可能性があります。
どのような組織も特別扱いすることなく、人々の常識の目を注いでいくことが大切だと考えます。