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「M-1グランプリ」の審査に納得できず、陰で暴言?!腹グロ芸人たちが問題に

漫才コンクール「M-1グランプリ」で、ある芸能人が審査員を罵倒する動画を公開し、炎上騒ぎになりました。審査員は関西のお笑い界を代表するベテランで、そのような相手に対する中傷ということもあって、業界を揺るがす騒ぎに発展しました。

 

当事者の芸能人はすぐに謝罪し動画も削除しましたが、波紋はその後も収まらず、落ち着くまでにはまだ少し時間もかかるようです。

M-1グランプリという非常に注目を集める大会で、参加者たちは必死でしのぎを削っています。

 

特定の審査員が出した点数に対し、全員が納得するということはありえない話です。

観客の見方もそれぞれです。

それを考えると、審査する側も大きなリスクを背負っています。

特に公開もされずに行われるオーディションのような場合は、審査員がどのような審査をしようともそれに対して反論は起こりません。

 

何も芸能人だけではなく、我々の社会でも常に審査というものが行われています。

職場の面接なども審査の一つであり、審査基準は面接を受けた側にはよくわからず、面接官の判断によって採用の可否が決まります。

 

不採用に納得がいかなくても諦めるしかなく、結局新しい会社の面接を受けることになります。

会社面接はコンクールやオーディションとは性質が異なりますが、審査されるということに関しては同じです。

 

コンクールなどのように目立つ場所で審査を引き受けるということは、大きな批判も覚悟で引き受ける必要があるでしょう。

また、会社面接のように特に公開されているわけではない状況の中で行われる面接に関しても、批判されないからいいというわけではありません。

 

審査員は人を審査する側としての大きな責任があります。

その責任を十分理解した人が行うのは、道義的な観点から考えて実に大切なことです。

また選ばれる側も、審査に対して様々な不満があっても、それを受けようと考えた時点で審査結果を受け入れる必要が出てきます。

 

もちろん客観的に見て理不尽な審査であれば問題提起を行う必要もあるでしょう。

但し、学校の入試のように誰もが明らかな客観的点数で決まるわけではないため、基準が曖昧なのは致し方ない面もあります。

 

だからこそ、一つのことからではなくあらゆることからその人を判断できるというメリットもあります。

もちろん客観性はやはり必要で、万人が納得しなくても、多くの人の納得が得れるような方法を模索していくことは大切です。

 

芸能のような場合はそれでは面白くないという意見も出てくることがあるでしょう。

しかし一般的に考えて、閉鎖されているよりも公明正大に行われて多くの意見が出てくるのは健全な姿です。

 

もちろん、これは中傷めいたことを拡散するということではありません。

あくまで落ち着いた中でどうあるべきかの冷静な意見を言うことは大切であり、そういったことを口封じすることは結果的に良くない状況を招く可能性が大きいと考えられます。